2024年も残すところあと僅かとなりました。今年はたくさんの初めてを経験し、たくさんの言葉に救われ、たくさんの幸せを頂き、みなさんに支えられてこの日を迎えた気がします。30代も半ばに差し掛かろうとしている私ですが…そんな私もたくさんの初めてを経験できたとても濃い1年になりました。文章は下手だし気持ちが伝わるかどうかは分かりませんが…颯太くんへの感謝の気持ちと、友人への感謝の気持ち、私が2024年感じてきた気持ちを忘れてはいけないのでないかと思いブログを書くことにしました。
1月
ActONE私の観劇は1月10日でした。みなさんのレポを見ながら颯太くんの立ち位置や動線をメモしたり、遠征の準備をしたり少しずつその日に備えていました。1月7日、私は仕事をしていてスマホをやっと確認できたのがお昼休憩だったと思います。1番最初に見たのはよく連絡を取り合う友人からのLINEのメッセージでした。私は颯太くんのブログを見にいきました。そこに書かれていたのは活動休止の報告。なんとなく彼の異変には気付いていたので、少し驚きはしたものの意外と受け入れることができている自分もいました。今後のことを考えると寂しさはもちろんありましたが、颯太くんの幸せが大優先なので。颯太くんが相談できる環境がそこにあって良かったなと感じたのが正直な気持ちでした。活動休止の報告で寂しいはずなのに、ブログの最後には
「毎日ご飯を食べて、毎日たくさん眠ります、たくん成長します^ ^」
と成長しようとしている颯太くんがいて、颯太くんらしさを感じ、颯太くんのファン思いな優しいところをありがたくも苦しくも感じたことを思い出します。彼が成長したいなら前に進みたいなら、応援することもストップさせたくはない、私も止まってはいられないなと感じました。
私は自担の活動休止は経験したことがありません。この活動休止期間をどうやって過ごしていこうかなと考えた時、私の頭に思い浮かんだのはSexy Zoneの頃の菊池風磨くんの言葉でした。マリウス葉くんが活動休止をした頃、彼はマリウス葉くんの充電期間のことについてこう語っていました。
「『待ってる』と言うと自分達だけが前に進んで、彼一人は立ち止まってる印象を受ける。でもそれは違って、同じ時間を今は別の道で進んでいるだけ。」
と。私は颯太くんの充電期間を止まっていると思いたくなかったので、 "同じ時間を今は別の道で進んでいるだけ"の風磨くんの言葉にはとても救われていました。私はこの期間、彼に対して一度も「待ってるね」とは言いませんでした。内村担なのに冷たいなぁと感じた方ももしかしたらいらっしゃるかもしれません…。颯太くんがお休み中もいつもと変わらず応援できたのは、風磨くんの言葉があったからだと思います。本当にありがとうございました。
そういうことでActONEは予定通り観劇させていただきました。颯太くんがいたら…と頭の中で思ってしまうこともあり、涙なしでは観られなかったけれども。いつもより少年忍者のみなさんの良いところ探しが出来たのではないのかな?と思います。嬉しかったのは深田くんの「勝つぞー!」私が観た回だけ言わなかったのかもしれないですが、私の勝手な解釈で「絶対」は内村担の心の中で叫ばせてくれてるのかな?と感じ、毎度勝手ながら『絶対』担当をさせていただきました!(もちろん心の中でです笑)ありがとうございました。きっと大丈夫、いつか観られるはず!颯太くんがいるDreamersを今後観ることが願いとなりました。
ActONEで東京を訪れてやっぱり私は颯太くんを感じたい…!と思いひとりロケ地巡りツアーを勝手に開催したり、友人がディナーに誘ってくれたり。会って元気付けてくれた友人達には感謝してもしきれません。私の心をたくさん救ってくれてありがとうございました。
2月
初の横アリ単独公演発表!これ一択ではないでしょうか?
「絶対勝つぞー!」からの『少年忍者 初の単独公演決定!』の文字。とっても痺れました。井ノ原さんが「横浜アリーナ決まりました!」と少年忍者のみなさんに報告し、指折り数える颯太くんのお顔が今でも心に残っています。おめでとう颯太くん!私は颯太くんに連れてってもらう横浜アリーナだと思っているからね!そう思っていました。そしてジュニア大賞恋人にしたい部門、内村颯太くんは16位で去年から順位を上げられたのも嬉しかったし、ViViネクストイケメンBOOK掲載も嬉しい2月でした。
3月
内村颯太くん21歳の誕生日「将来の夢だったの。21歳になるの。」颯太くん夢叶ったね、おめでとう^ ^昨年12月颯太くんがananがに掲載され「僕のどこが好き?」にお返事がしたいと思い、お返事するなら誕生日にしようと思っていました。友人にもご協力いただいて颯太くんの好きなところを聞き、空き時間でカードにみんなの颯太くんの好きなところを書いてる時間がとても幸せでした。わっしょい写真展も確か3月でしたよね?写真展のためだけに東京遠征をしたのも初めての経験でした(笑)。思ったより颯太くんのお写真がたくさんあって嬉しかったです。内村颯太の名前がど迫力すぎてお名前の前からしばらく動けず。3度筆くらいしていそうな"内村"の力強さを感じてとても元気をいただきました。内村颯太を感じることがやっぱり私にとって何よりも幸せだと感じました。そしてこのタイミングで!?という感じですが…。 カラフルカラツで颯太くんが感じた景色を自分の目で見てみたくて、遅くなりましたが佐賀県唐津市に遊びに行ったのも確か今年の3月だったと思います。北海道から佐賀県およそ2400キロの距離だそうです。本当に遠かった〜(笑)鏡山展望台から見る景色が絶景でした。まさしく「こんな時は…君に会いたくなる!」颯太くんに会いたくなりました。
5月
初の横浜アリーナ単独公演!少年忍者のみなさんおめでとうございました!もちろん3公演参加させていただきました。既述の通り私にとっては颯太くんに連れてきてもらった横浜アリーナ単独公演だと思っていたからです。4月にグッズが発表され、個人うちわ20種の文字を見た時、私の中の絶対勝つぞ精神が燃え上がりました。"21人で立たせてあげたい"の気持ちで颯太くんがいないことにはしたくありませんでした。自作で顔うちわを作り、颯太くんうちわを少年忍者のメンバーに見てもらえたのが嬉しかったです。強い気持ちで臨んだつもりでしたが、颯太くんの声が聞こえてくるはずのパートで違う声が聞こえてくることがありがたいなとは思いつつ、こんなことを思うのは本当に申し訳ないけど、心の中では違和感を感じてしまったり。ここにいるはずなのにと颯太くんの立ち位置を無意識に目で追っていたり。ふと我に返った時には泣いていたり…。正直に言うと自分が嫌になる瞬間もありました。しかし少年忍者初の横アリ単独公演。悔しい、けど嬉しい気持ちもいっぱいありました。悔しいも嬉しいも全部が本当の気持ちです。横アリ公演が終わり、5月14日織山くんはブログで
「メンバー全員が一つの方向に向かってスタートし、ラストはメンバー全員、それぞれの人生に向かって飛び込んで行く姿」
とラストの演出をこう語ってくれました。メンバー全員が一つの方向に向かったまま飛び込んでいたという演出ならば、たぶんどこか悲しく置いていかれた気持ちになっていたんじゃないかなと思います。しかし、"それぞれの人生"お休みしている颯太くんの人生も肯定してくれているように感じとても嬉しかったです。
7月
7月13日、私は家族と富良野方面へぷち旅行中でした。ちょうど帰りの車の中で何故か鳴り止まないLINEの通知。なんだなんだと思い確認すると、内村颯太活動再開の文字。嬉し涙が止まりませんでした。自分のことのように喜んでくれる友人からの連絡も本当に嬉しかったです。それだけ颯太くんが愛されているんだなと改めて感じた瞬間でした。初の不定期更新が活動再開の報告でしたね。不定期更新では諦めずに応援し続けてくれた方へ感謝の言葉を綴っていた颯太くんでしたが、自分と向き合うことはきっと簡単なことじゃないと思うし、誰よりも自分の心と向き合うことを1番諦めなかったのは颯太くん自身だと思いました。活動再開本当にありがとう!感謝の気持ち届いてるといいな。
後日9月に発売されたMyojo11月号で
「"そこで仕事してる環境が楽しいのは"誰のおかげなのかなって考えたとき、いちばんに思い浮かんだのが"湧の顔だった"」
というテキストを見て、思い浮かんだのが"湧くんの顔だった"ことももちろん嬉しかったのですが…。"お仕事は楽しいもの"という前提で話す颯太くんが私は本当に嬉しかったです。アイドルという仕事に迷いがあるわけではなかったんだとホッとした瞬間でした。
8月、9月
忍サマ。残念ながらお天気に恵まれず…復帰1発目の颯太くんには会うことはできませんでしたが(初日)、やっと再会出来た時の喜びは一生忘れないと思います。私は2023年ドリボの千穐楽から会えていなかったので約11か月ぶりの再会でした。久しぶりなのに久しぶりな感じがしないちょっと不思議であったかい気持ちでした。
Na Na Naの颯太くんのパート"悔しくてたまらないだけど大切で"を初めて聴いた時、いつか出合ったことのある感情だなぁと思っていました。それは横アリのシャイスタを観た時の私の気持ちと一致していました。横アリの最後の演出から颯太くんと合流し、21個の扉から登場。そしてNa Na Naに繋がっているというお話をメンバーから聞いた時、うまく言葉では表現できませんが、全てが救われた気持ちになりました。横アリ公演で感じた 私の悔しい、でも嬉しかった気持ちを颯太くんがNa Na Naで言語化してくれたんだなぁと思いました。
俺は帰ってきた感は出したくなかったから、わざわざそれについて演出することもなく『僕はずっとここにいたよ』っていう気持ちでステージに立ってた。
と後日Dance SQUARE で忍サマについてこう語っていました。きっとこれが久しぶりと感じさせなかった要因なんだなと納得できたのも、あの感覚が間違いじゃなかったんだと思えたのも嬉しかったです。
10月
少年忍者全員出演のDREAM BOYS。私にとっては6年目のDREAM BOYSでした。もともと颯太くんと出会ったのもこのDREAM BOYSです。ドリボについては細かくその時の感想をXで呟いていたので(まだ終わっていませんが笑)、ここであえて書きません長くなってきたので(笑)。千穐楽に出会えた同じような位置で最後見届けられたのが奇跡みたいで嬉しかったです。
この1年いろんな経験をさせていただきました。強いねとよく周りから言われることが多かったですが、私に関しては強がっていたが正しい表現かもしれません。"絶対勝つぞー!"の女は自担同様絶対負けたくないんです(笑)。颯太くんの充電期間中もいつものように接してくれた友人や、好きな人の言葉、好きだった人(←おい)の言葉が支えになっていました。颯太くんのことを忘れたことなんて1秒もなかったし好きな気持ちが止まることもなかったです。会えないからって萎えることも全くなくてずっとずっと大好きで幸せでした。いつもと変わらずおたくができたのも皆さんのおかげだと思っています。全てが意味のある経験だと思った2024年でした。最後に颯太くん、2024年も応援させてくれてありがとうございました^ ^
長くなりましたが、私と繋がってくれているみなさん、ここまで読んでくれたみなさんありがとうございました!喪中のため新年のご挨拶は控えさせていただきますが、2025年も終わらない旅をよろしくお願いいたします^ ^(どうしても載せときたい)